2015年07月

2015年07月19日

地名から見た鶴田氏(嵯峨源氏)の由来の考察

多くの日本人の苗字は地名由来だと聞く。私も例外ではなかった。
私の苗字鶴田家佐賀県 唐津市 相知町 佐里の「鶴田地区」と呼ばれている所が発祥らしい。

戦国時代に鶴田家(庶流)が拠点とした厳木町(現:唐津市と合併)の町史には、次のように記されている。

鶴田氏は波多家始祖波多持の二男「二郎来」が佐里の鶴田に館を構え鶴田を姓にしたのに始まる。(厳木町史上巻 570頁) 

つまり、鶴田の祖(つるタソ)に当たる人は、「鶴田」と言う場所に領地を与えられたから「鶴田」と名乗ったということだ。
地図で言えばこの辺り。
 

そして、一つの疑問が湧いてきたのでした。
「鶴田」という地名はどのようにして生まれたのだろうか?
 ①鶴たくさん飛翔していた?
  ⇒山のド真ん中に鶴なんて住んでネーヨwwww
 ②弦がいっぱい生えてた?
  ⇒ちょい可能性ありそう
 ③他の鳥を鶴と勘違いした?
  ⇒めちゃくちゃありそう

相知町の歴史書等を読んでみたが、地名の由来を突き止めることはできなかった。地元の人にインタビューするしかない!
ということで早速、鶴田地区があるJR佐里駅へ。

佐里駅

駅から降りて100m程。目の前の川に大きな橋が架かっていた。
鶴田橋

その名も鶴田橋(笑)
image

地元の住職の方(ツルダさん)にお話を伺ったところ、鶴田橋を超えた南側を鶴田地区と言うようだ。
地図で確認すると、このようになる。
鶴田地区 

航空写真でみると、分かりやすい。


さて、鶴田地区は周りを見渡す限り、田んぼ、田んぼ、田んぼ!
田んぼ

バスに乗って~佐賀の県道を走ると~♪周りは田んぼだらけ~♪まるで、弥生時代♪
なんて歌がありましたが、弥生時代とまでは行かなくても、鶴田家が出現した鎌倉時代の面影を残しているようにも感じた。近くのコンビニすら、電車で二駅乗らなければいけないほど、静かな村だった。

地元の住職の方(ツルダさん)曰く、田んぼなるひと昔前は大きな建物がいっぱいあったらしい。今は離散してしまったが、鶴田地区にはツルダさんがいっぱい住んでいたようだ。

しかし、インタビューでは「鶴田」という地名を解明するまでには至らず、鶴田生誕の地を後にした。
ところが、後から調べてみると地名の由来のヒントを解明することが出来たのでした。それは、もう一つの鶴田氏からだった。

鶴田氏は九州で2系統に分かれている。北側の嵯峨源氏系統の鶴田氏(つまり私)と、南側の桓武平氏系統の鶴田氏だ。
そして実際、鹿児島県には鶴田町(現:さつま町)という地名がある。渋谷区を支配した豪族「渋谷氏」の分家がそこを領地としたことで、鶴田氏を名乗っている。

さて、鹿児島県鶴田町の地名由来は次のようになっている。

 大昔の鶴田は湿地が多く、川内川及びその支流など多くの川がくねくねと町内を巡っていた。 嘗かっては、堤防とてなく、水の流に従って川ができているので湿地帯が多かったようで、そのような地形を「水流(つる)」とよんだが、水流田(湿地田)の所というのが地名の起こりという。
(中略) 
古くは言葉はあっても漢字に当てるのは遅かったと考えたく、水流田が鶴田に変化したものと考えたい。
参照:http://www.kvision.ne.jp/~bird/timei.htm
つまり、クネクネと曲がった川にできた土地のことを「水流(つる)」といい、それが「鶴」に変化したということだ。鹿児島県の他に、宮崎県でも見られるらしい。

先程の鶴田地区の地図を見返してみよう。
鶴田地区が川のクネクネした所にあるということがお分かりいただけるだろう?
鶴田地区

佐里の鶴田地区も鹿児島県鶴田町同様、「水流(つる)」が由来の可能性が最も高いことが分かる。

まとめると、佐里周辺の川がクネクネした所にあった農地を「水流田」と言い、時を経て「鶴田」になった。そして、鎌倉時代にそこを領地として与えられた武士が「鶴田氏」を名乗った。ということになる。

【結論】
私の苗字の由来は、ダジャレだった(´・ω・`)

tsurutaso at 23:59|PermalinkComments(1)